才能なんて言葉はまやかしだ

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『才能』って一体何!?

よく「自分には才能がない」とか「○○さんには才能があったから東大に合格できた」とかいう話を耳にします。『才能』というのは不思議な言葉で、よく聞くわりにはその実態を知っている人は少ないのではないでしょうか。

才能という言葉について、辞書を引いてみると、

出典:デジタル大辞泉
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。

goo辞書より引用

と、出てきます。

ミソなのが「生まれつきの能力」とあるところですね。つまり、才能というのは生まれつき持っている能力である、と読み取ることも可能な訳です。

野球の上手い人は生まれつき野球の才能があった。
ピアノの上手い人は生まれつき音楽の才能があった、というふうに見ることもできるわけです。

しかし、それは本当でしょうか。

才能なんて言葉はまやかし!?

例えば、Aはプロ野球選手になれたけど、Bはなれなかった、とした場合、客観的にはBよりAの方が才能があるように思えます。
言いかえれば、Aは生まれつきプロになれることが決まっていて、Bは生まれつきプロになれないことが決まっていた、ということになります。

しかし、僕はこれはおかしいと思います。
だってそうじゃあありませんか。上の考え方が正しいとしたら、野球選手になれるかどうかは、赤ん坊のころから決まっていたということになりませんか?
赤ちゃんなんて野球のルールはおろか、野球なんていうスポーツの存在すら知りません。いくらなんでも、赤ちゃんのころからプロになれるかどうかが決まっていたなんて、おかしな話です。

才能の正体とは

僕の経験上、言わせてもらうと、

才能とは「それを続けることができる能力」です。

野球なら1日何時間でもバットを振っていられる。

そして、試合で打てなくても「なぜ打てなかったのか!?」と自分で試行錯誤し続けられる能力の事です。

上手くいかなかった原因を自分で調べ改善していく能力、という事もできます。

しかしながら、これはかなり苦痛を伴います。

『上手くいかなかった原因を自分で調べ改善していく』と言っても、実はこれはカナリしんどい作業です。

自分がどれだけ下手なのかがわかってしまいます。

または上手い人と自分を比べてヘコむこともあるでしょう。

しかし、どんな分野であれ、一流と呼ばれる人たちは、この過程を繰り返してきたのです。

なお、野球のイチロー選手は小学生の頃、1年の内、364日間バッティングセンターに通い続けたそうです。休むのはバッティングセンターが休みになる正月だけ。それ以外は1日たりとも休まずです。その結果、メジャーで活躍し続けられる選手になれたのです。

そして「続けることができる」という事の前提には「それが好きだ」ということが条件になってきます。

だってそうでしょう、

自分の好きでもないことを1年中続けられる人なんて、いやしません。

ましてや嫌いな事なら尚更です。

先程のイチロー選手の例にしても、イチロー少年は、野球が好きだったから野球を続けてこれたのです。

もっと言えば、どうすればもっとバッティングが上手くなるのか、

どうすればボールを遠くに飛ばすことができるのかを考えるのが好きだったはずです。でなければ、年間364日もバッティングセンターに通うなんて、できる筈がありません。

自分は○○の才能があるのだろうか、と悩んだ際は、

じゃあ自分は○○を1年休まずに続けることができるのかどうかを考えてみてはどうでしょうか。

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